香川県・さぬき市。琴電長尾駅から車で5分ほど、高い建物に遮られることのない広い空、近くには古墳跡が点在する穏やかな地域にある「塚原のからふろ」。 ここは、日本のおふろのルーツと呼ばれる「石風呂(いわぶろ)」に、誰でも入ることができる場所なんです。
蒸気を使った入浴法をとることから、最近では「古代サウナ」と銘打ち、全国からサウナ愛好家が集まる施設となっています。昨年は「日本で一番熱いサウナ」としてSNSでも話題になりました。
おふろのメディアとして、日本の入浴の原点である石風呂を取材しないわけにはいかない。古代のおふろを体験し、身体も心も好奇心も満たしたいという思いで、『おふろタイムズ』はさぬき市へ向かいました。
取材当日、塚原のからふろに着くと、ちょうど今からおふろを焚くところだそう。ぜひ見学させていただこうと待っていると……。
現れたのは、頭から毛布をかぶった人物。
石室のなかの薪に火をくべてしばらくすると、炎はどんどん大きくなっていきます。
その光景は、おふろというよりは、陶磁器を焼く釜のよう。
ひりつくような熱気で、石室のそばにはとても近寄れそうにありません。
薪が燃え終わると、炭をならして、その上に塩水を浸したむしろを敷きます。
たちまち蒸気が立ち込める室内。
そして、しっかりと扉を塞いでしまいました。
なんでも、火を焚いた直後は中の温度が熱すぎて入れないので、こうして30分「蒸らし」の時間を挟むのだとか。
石室のなかで薪を燃やすふろ焚きは、間近で見ると想像以上の迫力。
その光景に、海外からのお客さんも拍手をして喜んでいました。
1300年も昔から、庶民に愛されてきた歴史ある「塚原のからふろ」。
しかし、これまで閉業を繰り返しながら、いろいろな人の手でバトンをつないできたといいます。
蒸らしが終わって入浴できるようになるまでのあいだ、現在、塚原のからふろを運営する「からふろ保存会」の小林憲一会長に、たっぷりお話を伺いました。
1300年前に伝わったおふろのルーツ
塚原のからふろ(以下、からふろ)は、1300年の歴史があるそうですね。
小林さん:日本のおふろのルーツと言われてますね。運営するにあたって、自分なりに文献を調べたんです。そうすると、飛鳥時代から奈良時代、東大寺の大仏造立の責任者を勤めた行基というお坊さんが、からふろを建設したという説に行きつきました。
行基ですか。
小林さん:当時は、飢饉や疫病が蔓延していました。さらに庶民は税を収めるために都に出向かなければならず、道中で命を落とす人も多かったんです。行基は様々な場所に、寝泊まりできる宿や、食べ物の施しが受けられる寺院や布施屋を設置しました。仏の道を説くだけではなく、社会事業を進めたお坊さんなんです。
そんな方が、なぜおふろをつくったんでしょうか。
小林さん:からふろは、庶民の病気を治す目的でつくられたんです。
医療的な意味合いがあったんですか。
小林さん:病気になっても、庶民は拝むことくらいしかできなかった時代。特に田舎の貧しい地域ではなす術がない。そこに行基が身体をあたためることで病を改善する、蒸気浴を伝えたんです。
以前は、瀬戸内の近辺に石風呂がいくつもあったそうですが、現在営業しているのは、この「からふろ」だけです。
1300年の歴史を持つおふろが、今もなお体験できるのはすごいですね。
「からふろ」には、「ぬるいほう」と「あついほう」のふたつの部屋がありますよね。
小林さん:毎回、9時半と15時に薪を燃やして、ふたつの部屋を交互にあたためるので、熱して間もない部屋は「あついほう」、時間が経ったほうは「ぬるいほう」になるんです。
なるほど。そういうことなんですね。からふろに、なにか入浴のルールはありますか?
小林さん:特にルールはないです。「あつい方」「ぬるい方」どちらに入るのも本人の好み次第ですね。サウナと同じで、大体5〜10分くらい入って、休憩する人が多いかな。
基本的な質問なんですが、石風呂ってサウナとは違うものなんでしょうか?
小林さん:サウナは、温源の近くや、上段のほうが熱いですよね。いっぽうからふろは、壁全体を熱した後、30分ほど蒸らすことで、温度のムラがなくなるんです。違いはそんなところかな。じんわりと身体全体がぬくもりに包まれる気がしますね。
「あつい方」は、最初は150℃にもなるのだそうですね。
小林さん:そうですね。だから、「日本一あついサウナ」としてサウナ愛好家の方々も来てくれますよ。からふろに入ると、なんというか、ぬくもりがふわっとくる感じがするんです。
ふわっと?
小林さん:身体が芯からあたたまって、なかなか冷えないんですよ。冷え性が改善したというお客さんもいますね。
閉業するたび、手を挙げバトンを繋いだ人がいた
小林さんは、運営に関わる前からからふろを利用されていたんですか?
小林さん:いや、まったく。保存会を立ち上げるまでは、興味がなかったですね。
そうなんですね!
小林さん:65歳で定年退職するまでは、青果市場関係の会社に勤めていました。まさか自分がからふろ保存会の会長になるとは、思ってもいませんでした。
小林さん:以前は、筒井という家の人が先祖代々、風呂番をしていたんです。しかし、後継者がいなくなって閉業。その後はさぬき市が運営していたのですが、2007年に突然休業を宣言して閉まってしまいました。さぬき市の厳しい財政状況では、公費負担で運営を続けるのが難しかったんですね。
利用していた方にとっては、ショックですよね。
小林さん:そうですね。再開を望む声が多く上がっていました。私が退職したタイミングで、市役所のほうから「市民で保存会をつくって再開したらどうか」という話が出ていたんですよ。それで、やってみようかと思って。
今まで興味がなかったのに、どうして?
小林さん:私が生まれ育ったのが、からふろの近所だったんです。ここのすぐ近くに、溜池があるでしょ。子どもの頃、あの池で魚を獲ったりして遊んでいたんです。その時、おばあさんやおじいさんに「からふろはどこですか?」と聞かれることが多々ありました。
そうか。小さい頃から、からふろは地域に根付いた場所だという認識があったんですね。
小林さん:そうそう。幼い頃の体験もありましたし、文献を調べていくうちに、さっきの行基さんの話や歴史を知って、残していきたいと思いました。ここがなくなるのはもったいないと感じたんです。
からふろの壁って、石でできていますよね。この石は、昔からずっと変わっていないんですか?
小林さん:いや、何回も変えてますよ。1300年も持つ石はないですから。豊島石という種類の石を使っています。昔からかまどをつくるときに使われていた、熱に強い石ですね。
小林さんが運営を引き継いでから、どれくらいの頻度でメンテナンスされているんですか?
小林さん:保存会を立ち上げてから、もう2回ほど変えているかな。私が保存会を立ち上げた時には、壊れた部分の補修に耐火レンガを使っていたんですが、徐々に石に戻して。やっぱり石のほうがしっかり部屋があたたまるんです。それ以外にも、こまめに補修はしていますね。
今日はフィリピンやフィンランドからもお客さんがいらっしゃってました。普段もいろいろな土地からお客さんが来るんですか?
小林さん:東京や北海道、海外からも来てくれますね。今はインターネットがあるから、それで知ってくれているみたいですね。ここ4、5年はサウナブームでしょ。サウナ好きの方たちがよく訪れるようになりました。
地域の方も利用されていますか?
小林さん:変わらず来てくれていますよ。ここはね、市役所の書類上の正式名称は「長尾町老人福祉センター」なんです。地元の高齢者向けの施設ということになっていまして。
地域のご年配の方に、利用してもらいたいという思いが強いんですね。
小林さん:それはもちろんなんですが、外からのお客さんが来てくれないと経営的にやっていけないというのが事実です。これだけ火を焚きますし、電気代もかかるので。だからサウナブームの恩恵を受けているのはありがたいことですね。
コロナ禍の間は、感染対策のために一時休業しました。そんな風に、からふろは閉業しては誰かの手で再開する、というのを繰り返してきたんです。
身体があったかいと、人は怒れない
石室の蒸らしの時間が終わったということで、いよいよからふろに入ってみます。
初めてなので、「ぬるい方」に入ってみようと思います。わ、熱気が! でも、サウナよりは入りやすい温度かも。気持ちいいですね……。
小林さん:どうでしたか?
肌が出ているところはヒリヒリ熱かったです。だから長袖を着るんですね。さっき小林さんがおっしゃっていた「ぬくもりがふわっとくる」感覚がわかった気がします。時間が経つごとにじんわり汗が出て、体の芯からじっくりあたたまるような感覚がありました。
小林さん:この日は、地元のお客さんが2人いらっしゃいました。おひとりは、関東から十数年前に香川に移住した方。身体のケアのためにからふろに通いはじめたところ、常連さんと話すようになり、今では「また来週ね」と声を掛け合う仲なのだそう。
地元のお客さん:からふろは、汗を流しに来るのはもちろん、会話を楽しむ場になっています。ここで会うと、不思議と仲が深まる気がするんですよね。
小林さん、からふろはいろいろな方のコミュニケーションの場にもなっているんですね。
小林さん:みなさんが楽しく話しているのを見ると嬉しいですね。こういう場所では、心がオープンになるから。身体が芯からあたたまっていると、人ってなかなか怒れないんだと思います。
からふろをあたりまえの風景として残したい
からふろに来た方は、本当にみんな穏やかですね。
小林さん:そうなんです。わたしももう年なので、叶わない夢かもしれませんが、からふろがずーっと続いて欲しいとは常日頃思っていますね。
お話を伺って、放っておいても確実に「続く」ことなんて、ないんだなと感じました。小林さんたちが保存会を立ち上げて守らなければ、からふろは長い歴史に幕を下ろしていたかもしれない。今後もからふろを残していくために、やりたいと考えていることはありますか?
小林さん:こまめなメンテナンスはもちろんですが、できる限り取材を受けてアピールを続けたいと思っています。
私たちが言うのも変ですが、メディアの対応は大変じゃないですか?
小林さん:取材の連絡をいただくと、興味を持ってくれてありがたいなと思いますよ。常連のお客さんはもう慣れている方も多いですし、取材班に入り方を教えることもあるくらい。雑誌や新聞、テレビで取り上げられて、それを見た人が興味を持って来てくれたらなお嬉しいです。
もし、からふろ保存会のメンバーになりたいと思ったら?
小林さん:ぜひ連絡をください。保存会に興味を持ってくれる若い世代の方や、火焚きの後継者も探しています。今は、岡田くんというメンバーが実質ひとりで火を焚いているんですが、彼も高齢なので。気候や天候、季節によって焚き方を見極める技術と経験が必要ですが、おもしろいと思いますよ。
小林さんがからふろの運営をやっていて、やりがいを感じる瞬間はありますか?
小林さん:それは、もう、みんなが楽しんで帰ってくれたときですね。「今日はむしゃくしゃしていたけど、からふろに入って気が楽になった」と言って帰っていく人を見送る時なんか、とてもうれしいです。
たとえば、ある人が怒っていたとしますよね。そのまま家に帰ったら家族のみんなが悲しくなるでしょう。そんな時、ちょっとからふろに寄って、汗も怒りも流せたら、みんなが気持ちよく過ごせると思うんです。
小林さんは、からふろとこの地域の、どういうところが好きですか?
小林さん:そうですね……難しいな。生まれた時から近くにあったので。
池で魚をとったり、山で栗や柿をちぎったり、家族や友だちと一緒に歩いたり、喋ったり。遊んだのも、働いたのもこの地域でした。生まれてからこの年までずっと住んでいる土地ですから、語りきれないほど思い出があるんですよね。からふろや、それを利用しにくる人たちも、物心ついた時からあったあたりまえの風景なんです。それがなくなってしまうのは、やっぱり寂しいですからね。
からふろの取材を通して、古代の昔から、「あったまる」ことが身体や心の健康に繋がると考えられていたのだと知ることができました。身体があたたまると、自然と気持ちも上向きになり、会話もほがらかになります。
多くの人のおふろの原風景である、塚原のからふろがずっと続いて欲しいと願いながら、さぬき市を後にしました。
「おふろタイムズ」では今後も、街をあたためる日本全国の銭湯や温泉を取材していきます。なんだか疲れたな、なんだか会話がギスギスするなと感じた日には、おふろに浸かってあったまってみてはいかがでしょうか。
おうちで芯まであったまりたい方は、「あったまるシリーズ」の入浴剤がおすすめです取材・撮影:かずさまりや
構成:荒田もも(Huuuu)
編集:友光だんご(Huuuu)